センチメンタル・ジャーニー

僕は旅に出た。理由は百個くらいあるので、言わない。

生憎の雨の中車を走らせる。家からほど近い車産業の世界の中心地を通り抜けると深い緑に包まれた山々が姿を現す。前日これでもかというくらい振った雨がいつ牙を剥くか分からないという弱冠の不安にさいなまれつつ、田舎の山道に恐る恐る入っていく。しかし入ってみるとそんな不安も消えていった。道の脇に群れを成して咲き誇るアジサイの花、もう使われていないであろう無機質なジャングルジムに絡みつく名も知らぬ植物、木々の間に響き渡る鶯の声、梅雨明け前に鳴いている気の早い蝉、白い霧のアーチが架かった幻想的な川・・そこには豊かな表情を見せてくれる自然がある。普段無愛想だが、いや僕が気づいていないだけなのかもしれないが、それだけで楽しい気分になる。



目的地の温泉に着いた。前より人は少なめだけど、相変わらず平均年齢は高い。最近ヒゲが濃くなってきたのは歳のせいではなく、ここで若さを吸い取られたからだと思うほどに、高すぎる。まあそんなことはいちいち気にしてもいられないので、結局は温泉に入ってしまうのだが。さっと着替えを済ませ浴室へ行く。やはり人は少ないようだ。体を荒い少し屋内の浴槽で暖まってから、露天風呂へ向かう。・・・ああ最高だ。なんて声が出てしまうほど気持ちがいい。屋根がなく雨水が水面に無限の輪を描く。雨の露天風呂も風情があってこれはこれでいい。芭蕉風に言えば「梅雨空に雨の露天ぞまた趣し」だ。

ホカホカした体で温泉を出ると小雨になっていた。すぐ運転するのは心もとなかったが時間も無かったので帰宅の途につく。ふと海が見たくなったので、海沿いの道で帰ることにした。街まででるといつの間にか日が雲の隙間から顔を出していた。もっと早くでろよ、とすかさず心の中でツッコミを入れるが、お天道様には叶わないので口に出すのはやめておいた。海岸線にでるともう日が傾き始めた。なんてタイミングの悪い。きっとお天道様は今頃ベロを出してニヤついてるに違いない。僕はヨットハーバーの駐車場に車を止め、意地悪な太陽を探した。ギターを弾きながら。

結局いつ太陽が沈んだのか分からなかった。まあいつだって朝と昼と夜の区別など曖昧なものであり、その言葉自体人間が都合よくカテゴリーに分けたものであって、自然にはなんら関係のないことなのだ。だから僕も、メランコリックなサンセットが見られなかったことは少し残念だが、大して気に留めずギターを弾き続けた。ジャック・ジョンソンのように砂浜で弾くのは恐れ多いが、海を目の前にするとアコースティックな気分になるから不思議だ。そのうちいつのまにか辺りは暗闇に包まれた。フライパンマザーが帰っておいでと言うので帰ることにした。僕は車と僕の心にライトを付けて、ゆっくりと出発した。

僕は旅に出た。理由など一つも、ない。