Twitterで流れてきた小学生が書いた新聞投稿のコラム。
何気なく読んだら、涙が止まらなかった。
それは亡くなった父親に向けて書いた内容だった。
決して文章の構成が上手いとか、そういった類ではなかったように思う。
むしろ、ひらがなが多かったり、読みにくいくらい。
じゃあ、なぜその500字程度のコラムが胸を打ったのか?
それは書き手であるその小学生の「純粋な想い」に触れたから、なんだと思う。
子供の父親を想う、嘘偽りのない想い。
ひらがなで書いてあるという表現を含めて、
それが自分の言葉で語られていたのだ。
そこで、ハッとした。
人は純粋な気持ちに触れると心が動くのだ。
例えばスポーツ。
勝ちたいと思う気持ち。
仲間との絆。
例えば音楽。
音や歌詞に乗った想い。
アティテュード。
ライブパフォーマンス。
スポーツも、音楽も、その表現者の「想い」に触れた瞬間に、
心が動くのだ。
しかも、その想いが強ければ強いほど大きく動く。
小学生のコラムを読んで、そんなことを分析していたら、
ふと、自分のことを考えた。
嘘ばかりの人生なので、
100%生絞りの純粋な言葉で語ったことなんてない。
まあ、大人なんてそんなもんなんだろう(そう思いたい)。
死ぬまでに、もう一度「心の奥底の言葉」を振り絞りたい。
そう決めたのだ。