眠らない夜、眠れない朝

昨日のテニスの疲れなのか。それとも夏の暑さのせいなのか。午前4時に起きたはいいものの、早起きして遠慮がちにジージー鳴く蝉と、布団の横で遠慮なくズーズーと寝息を立てる愛犬との間に挟まれる。ムンクの叫びのように顔を押しつぶされた僕は一度眠ろうとは思わなかった。そもそも「4」時に起きたのがいけなかった。4という数字は嫌いだ。「し」という、人間の不可避な潜在的な恐怖である「死」を連想させる、縁起が悪い言葉を避けるために「よん」という言葉が生まれてくれたのはいいが、そのネガティブなイメージは僕に夏の蚊のようにブンブンと纏わり付く。

眠れないし、眠る気もあまりないので、読みかけていた小説でも読むことにした。そもそも僕を眠りにつけたのは、愛犬の気持ちよさそうな寝息でもなく、古館一郎のバイアスがかった饒舌なトークでもなく、マリリン・マンソンの子守唄でもなく、他ならぬこの森見登美彦の処女作「太陽の塔」なのだ。眠気を誘うということはリラックス状態にするほど心地が良いものか、または眠くなるほどつまらないものなのかどちらか。残りの数十ページを一気に読み終えてしまったほどかなり面白かったので、前者だろう。

読後の清清しい余韻にも浸り、本格的にすることがなくなった。日本が生んだ偉大なる暇つぶしマシーン「ニンテンドーDS」に頼りたい所だが、名作「風来のシレンDS」は昨日売ってしまったのだ。もうダンジョンには逃げ込めない。眠らない夜、いや、早朝は無常にも淡々と過ぎてゆく。「手持ち無沙汰で「Chaki MEDIUM」と銀色の文字で書かれた黒いピックを眺めながら、Chaki」てなんだろう?という無生産な疑問をグッと飲み込む。そして、部屋に迷い込んだ小さなモスラを退治するという凄惨な行動を起こす。野原を優雅に羽ばたく蝶のように見せかけて有害な粉を撒き散らすというテロが起こされているかもしれないので、これはしょうがないだろう。「疑わしきは罰す」アメリカ式先制攻撃だ。

モスラーやー、モスラー」という昔見た映画「ゴジラVSモスラ」に出てきた黒魔術の呪文のような歌が頭の中でリフレインしてきた。もはや眠れない末期症状かもしれない。それにしても眠くない。友達が不眠症といっていたがこういうことを言うのだろうか。それにつけてもおやつはカールだろう。和田あきこがカールのCMに出ていようが出ていまいがどうでもいいのだ。アッコには別におまかせはしたくないのだ。大切なのは愛だろ、愛。それにつけても大塚愛はかわいい。外見というよりは、雰囲気がかわいい。歌もポップでかわいい。何より曲間にでてくる相槌がかわいい。でもなんだかんだいってPVに出てくる元ブルーハーツのモヒカンドラマーが一番かわいい。

くだらない事ばかりブライアンストームしていたら外が白々としてきた。今日は曇り。台風が近づいているようなので風が強い。天気の神様は思い出したように時折雨を降らせるが、すぐに止む。いつのまにか蝉は鳴きやんでいた。天気の神様にまだ早いと諭されたのだろうか。場の空気を読んだのだろうか。それともホントに「台風」という空気を、触覚のようななにかの器官で、科学的に読んだのだろうか。僕が知る由もない。そもそも天気の神様って誰なのだろうか。知らない。僕は知らない。隣では相変わらず愛犬が幸せそうに寝ている。まだ朝は来ないみたいだ。

♪BGM CRAZY感情STYLE/凛として時雨