USODARAKE

【うそ(嘘)=真実ではないこと。また、そのことば。いつわり。(広辞苑より)】

僕と僕の住む街はUSODARAKE。

嘘が嘘を呼び、それがまた嘘を巻き起こす。嘘は嘘で固められ、ついに嘘は動けなくなる。嘘が完全に悪いことだとは思わない。相手のためであったり、「良い」嘘もあるとは思う。学問的にもコミュニケーションの潤滑油の要素もあると聞く。しかし、そのような嘘の是非論は置いといて、真実でないことに固められたものはやはり悲しいものだと思うのだ。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか」という本が売れているらしい。例えば、ペットボトルはリサイクルしようという運動は、もう一度ペットボトルとして復元するには新品の7倍の石油が必要であり、レジ袋は環境に良くないのでマイバッグを持とうという運動は、 レジ袋は石油が生成された後に残るものなので資源には優しいという事実があるという。メディアが発信する独占的な「環境イデオロギー」に支配されたこの世の中ではたしかにこのような嘘がまかり通っているのかもしれない。

そんな世の中に生きる僕も思い返せば嘘に塗り固められ生きている。劣等感と自意識過剰から来る虚像と、抑うつ症状によるコミュニケーションブレイクダウン状態のためにどれだけの嘘をついてきたか。どれだけ人を裏切って、人を欺いて、生きてきたか。英語には「嘘」という名詞は四つある。lie、fib、story、falsehood、の四つだ。どれも意味合いが違うが、僕がついてきたのは、情けないが、lie、だろう。

前述の本で、著者はまえがきの最後に次の言葉を書いている(らしい)。

「事実を知る、それがまず第一歩だ。」

そう、僕と僕の住む街は「SHINJITSU」を求めている。