チェシャ猫は考える

ryoma200x2007-10-23

我輩は猫である。名前はまだない。でも最近は近所の人から「ブラッティ」と呼ばれたりもする。尻尾だけ黒いので「ブラックテイル(黒い尻尾)」、もじって「ブラッティ」なのだそうだ。人間もたまにはうまいこと考える。ちなみに友達に野良猫・ゴン太という名前を付けられた奴がいる。写真の彼だ。彼の名前の由来はゴンたくれたことばっかりするからゴン太と名づけられたのだそうだ。人間は基本的には単純だ。

最近はめっきり寒くなってしまった。ホームレスの野良猫にとっては魔の季節である。家もなければコタツもない私達は夜はもっぱら車の下で身を潜める。個人的には大きいワゴン車の下がお気に入りだ。大きいから一晩限りの「寝室」が広くなる。でも人間の死角なのでうっかりしていると轢かれてしまう。知り合いもそれで何人か殺られた。ウカウカと寝ていられない。毎日がサバイバルなのだ。

サバイバルといえばもっとも重要なのが食料である。近年は稀に見る飢饉だ。人間が住みよい環境を作ったがために、大好物のねずみなど小動物が減ってしまったのだ。どうしようもない私達は生きていくために残飯を漁ることにした。人間が「捨てた」食料を食べる。それに何の問題もないだろう。しかし人間はそれを「ゴミが散らかる」という理由だけで禁止にしやがった。せっかく残飯処理をしてやっているのに。地球環境にも優しいことをしているのに。

ホントに人間は身勝手な生き物だ。自分達さえ良ければそれでいいのか。私事だが子供が生まれた。この子たちのためにもこの人間に支配された腐った世の中を生きていかなければならない。今はスギイラだかスギエラだか貧乏くさい家の庭に住んでいる。もちろん許可など取っていない。というかこんな汚い家の許可など要らないだろう。音楽の音はうるさいし、下手くそなギターが耳障りだし、庭は手入れ一つもされてないし・・・まったく家の住人達の顔が見てみたいものだ。

いつか大豪邸の日本庭園のような粋な庭に住みたい。金持ちのご主人様を見つけて食料も寝床も心配する必要のない、優雅な暮らしをするんだ。そんな輝かしい明日のために私は今日を踏ん張って生きる。さあ、今日は九丁目の野良猫自治会のメンバーと会議だ。議題は「カラスとの共生〜残飯の分け合い〜」「猫ひろしについて」「お魚咥えたドラ猫がサザエさんに追いかけられた件について」の三本立て。我輩は猫であるが、人間が思っているより忙しいのだ。