言葉はさんかく、こころは四角(言葉論2)

言葉は人間が発明した「コミュニケーション・ツール(意思伝達の手段)」。心は神様がくれた「ファンクション・オブ・センシビリティー(感性の機能)」。こんな言葉も、所詮言葉を繋いだテクストであり、考えたことの一表現でしかない。と、思う。

例えるなら、言葉はアンプ、心はギターなわけです。マーシャルのいいアンプを使っても、ギターの配線が切れていたら音はでません。言葉はテレビ、心はアンテナなわけです。ソニー液晶テレビ・ベガの40インチでもアンテナがなければ見えません。なんかずれてきた。ともかく、「言葉」は「心」で感じたことをアウトプットする道具でしかない。と、思う。

言葉は意思伝達の手段なのに、なぜ世界には多数の言語があるのだろう?もし言語が一つなら全世界の人々とコミュニケーションがとれる。でも現実はそうではない。いろんな人種がいるからといったらそれまでだけど、意味の伝わらないことの大事さ、「非伝達の効用」があるそうだ。つまり伝わらないことの大切さもある、ということ。と、思う。

言葉の本来の目的とは矛盾しているが、それも「心で感じること」が人間にとっていかに大事なことであるという証明だと思うのだ。ブルース・リーばりに言えば「Don't think. Feel」。言葉を使うのも、心を使うのも苦手な自分の不器用さの言い訳にしてみたりもします。言葉はさんかく、こころは四角。と、思う。

♪BGM 言葉はさんかく、こころは四角/くるり